祈れない時

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開発ブログ

あると思います。少なくとも私はあります。何かしらに向けて頑張ろうって思って挑戦していたとしても、今日はなんかいいや、って気分になったり、ちょっと体がだるいなって感じたり。

私の尊敬する先輩の一人に、本当に地域の皆のために行動しててすごいなーといつも感じる方がいます。その先輩も、やっぱり祈れない時はある、と言っていました。

やっぱり私達は(すくなくとも私は)凡夫で、やっぱり一人だけで信心を貫き通すことは難しくて、だからこそ組織があり、その中で挑戦や状況を共有したり、皆で励まし合っているのだと思います。

祈れない時、もし誰かからの励ましの祈りが通知で届けば、もしかしたらそれをきっかけにもう一度決意を促せるかもしれない。

祈れない時があってもそれは普通で(少なくとも凡夫である私にとっては)、そんなときは、気が向いたらこのアプリを開いて、公開されている御祈念項目を見たりして、誰かが挑戦していることを少しでも感じて自分がもう一度頑張ろう、そう思えたら祈り始めたらいい。

現在祈っている人を眺めて、可能ならその人の背景だとかを想像して、みんな何かしら挑戦しているのだなと思えて自分も頑張ろう、そう思えたら祈り始めればいいと思います。

アプリに込めた思いのひとつ

他にも、組織に馴染めていない人をどうやったら励ませるのか?こういったことを考えながら、このアプリの構想を練っていました。

以前、地区の責任者として家庭訪問に回っていた頃の話です。やっぱり会えない人はいます。連絡がつかない方がいたりします。その時の状況で各種会合に参加できなくても、電話等で連絡がついていれば、お互いに励まし合ってやっていけると思います。

じゃあ会えなくて連絡がつかない方はどうやったら励ませるのだろうか?この点悩みました。

もしかしたらこのアプリが役に立つかもしれない。

組織が嫌になって、地域の方との連絡を断っていた人が、もし何かのきっかけでこのアプリを始めてみると、いろんな方からの励ましのお題目が届くかもしれない、その人は励まされるかもしれない。

これまで繋がれなかった人、地区では拾いきれなかった方。もしかしたら、オンラインでは似たような境遇を抱えている同志がいて、その人の励ましの言葉なら届くかもしれない。

未来部のとき

師匠の言葉で心に残っていることを一つ。それは、3日坊主でも10回やれば1ヶ月やったことになるということ。確かに!!

おそらく大事なのは、決意すること。途中で挫折したとしても、何度でも決意すること。

私自身、このアプリを開発する中で何度か諦めそうになりました。あまりの自分の知識・スキル・経験の乏しさに嫌になりました。でもその度にこの師匠の言葉を思い出し、関わってくれている人のことを思い出し、アプリで届けたい思いを思い出し、もう一度ここからと何度も決意を新たにして、なんとかリリースにこぎつけました。

その後も挑戦の連続です。アプリを使ってくださっている皆様に少しでも価値を届けられるように、改善を続けます。

決意ができる時

じゃあこれまで何度もあった祈れない時、自分はどういうときにまた祈り始められたのだろうか?その時の状況を考えてみました。

それはやっぱり、地域の先輩方の励まし、祈っているよとの言葉、会合で体験や挑戦していることを聞いた時、誰かと対話した時、誰かを励ました時、自分自身の過去の努力を振り返ってその時の想いを思い出した時、新聞を読んだ時、四季の励ましを読んだ時、いろいろあります。

社会人になって1~2年目の頃はなかなか会合等にも参加できず、活動から離れていた時に辛いことがあって、会合に参加してみたことがあります。ほぼ未活に近い時です(毎月の本幹同中にはかろうじて参加していた)。

会合に参加して、決意発表を聞いて、皆で歌を歌って、皆の活力をもろに肌で感じて、ああ自分は何をやってきたんだと感じたと同時に、もう一度この信心で立ち上がるしかない、そう感じました。皆の生命力がすごかったんです。

やっぱり決意が出来るのは、誰かのほとばしる生命力に触れた時かなと思っていて、それは対面が一番伝わるのは間違いないとは思いますが、新聞やネットで体験や師匠の言葉を感じて、決意する時ももちろんあります。だからアプリ上での励ましはあってもいいなと思っています。

「現在唱題中のユーザー」や「祈りました」や「御祈念項目の公開」といった機能を通して、少しでもユーザーの皆様とともに何度でも決意を促していける、そんなアプリにしたいのです。

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